『カジノの王様』





とんでもないことになっている。

俺は部下に渡された報告書を読みながら、頭を抱えたくなった。

事の始まりは、一昨日の夜。

久々の休日にジャンが家で食事を作って待っていてくれたのを、 急な仕事でキャンセルした。

それでなくても最近お互いなかなか会えない日が続いていたのに、 フォローの電話も忘れたのが更にまずかった。俺としたことが。

最後の仕上げが、デートの約束の日。ボス・アレッサンドロに掴まって 夜会に問答無用で連行され、しかも最悪なことに内容は出会いの場――― つまり、今でいう合コンだった。

ボスはボスなりにあの一件のことを気にして、俺に新しい出会いを 用意してくれようとした、んだと思いたい。間違っても某女優の 気を引くための面子合わせとは考えたくなかった。というか、 もしそうだったら許せる自信がない。

しかも、待ちぼうけを食らっていたジャンにもボスのお声がかかり、 パーティーの真っ最中に途中参加で姿を見せたからもう・・・あとは、 思い出したくもない。

帰り道言葉を尽くして謝り倒して言い訳もしたが、『俺ぜんっぜん 怒ってないし』と爽やかな笑顔で一蹴された。

言葉が通じないなら行動で示そうとした俺に、ジャンは思い切り拳を めり込ませ、『一人で寝ろ、このエロライオン』と言い捨てて、 タクシーで去って行ってしまった。当然、その日はうちに帰ってこなかった。


そうして、今日だ。

報告書には、俺の経営するカジノの昨日の売上高が書かれていた。 ――――見たこともないゼロの数が、マイナスで。

賢明なレディ達ならもうおわかりだろうか。犯人はジャンだった。

あのラッキードッグはルーレットで一点掛けを繰り返し、 ディーラーを涙目どころか支配人を土下座させて、草の根一本ない状態に 追い込みやがった。

間違いなく俺への嫌がらせ。べえ、と舌を出しているジャンの顔が頭に浮かぶ。

(マジかよ、クソ)

ジャンは本気だ。支配人を通り越して俺が個人的に土下座するまで徹底的に 戦争するつもりかもしれない。

可愛い恋人を敵に回すことの恐ろしさを、俺は身に沁みて実感させられていた。

「ドン・グレゴレッティ、後生ですからどうにかあの方を説得して頂けないでしょうか」

電話口ですがるようなカジノの支配人の声が聞こえてきた。ジャンは明日も 楽しく遊ばせてもらうと笑顔で帰って行ったという。

二日もこんな所業をされれば、カジノは閉鎖に追い込まれる。従業員は 明日にでもテネシー川のダム工事現場へ出掛けて行くしかなくなるだろう。

「わかった、俺も今日そっちに顔を出す。任せておけ」

俺の言葉に、支配人はしきりに感謝の言葉を繰り返す。俺はそれを聞いていて、逆に申し訳ない気分になった。

(すまん、支配人。元はと言えば俺のせいなんだが)

どうやったらあの金髪のわんわんのご機嫌を直せるか、俺は小一時間 頭を悩ませていた。



***



ルキーノのアホ。馬鹿。女たらし、クソッタレ。

頭の中で思いつく限りの暴言を浴びせ掛けて、俺はカジノへと向かっていた。

昨夜は少々頭に血が上って我ながら容赦なくやってしまったと思う。支配人には 悪いと思ったが、これで今日あたりルキーノが出てくるのは間違いないだろう。 どう説得するかやってもらおうじゃねえか、という気分だった。

仕事が忙しいのはまだいいとして、なんだ?あのパーティーでの態度は。

(女に囲まれてモテオーラたっぷりのいい笑顔しやがって。しかもなんだ、あの『しまった』みてぇな顔。やましいことでもあるのかよ、 この ピ○○○  野郎。クソ、ファック)

いつものようにカジノのドアをくぐると、スタッフ全員が強張った顔で 俺を見た。すぐに客に対する敬意のこもったそれに戻るが、今更取り繕いようがない。 昨日の一件で恐れられているのだけは間違いない事実だろう。

客も、ちらちらとこちらを見ては、こっそりと耳打ちし合っている。大方、 昨日の騒ぎを見た人間から話を聞いて、野次馬にやってきたのだろう。

奥から支配人が姿を現し、ようこそいらっしゃいました、と 慇懃に礼をする。

一目で、ピーンときた。ルキーノのやつに泣きつきやがったな。

支配人の顔には俺に対する畏怖が浮かんでいたが、この世の終わりというような 悲壮感は感じなかった。つまり、希望がある。今日で破産させられる男の顔じゃない。

(お出ましだな、ルキーノ)

心の中で呟くと、不思議な高揚感に包まれた。

絶対に負ける気がしないほどの自信と、ギリギリでタマの取り合いする時みたいなゾクゾクする感じ。

相手がルキーノだと思うと、 破産させてやりたいほど残酷な気持ちと、力づくで押し切られたいような被虐的な 気分とが倒錯的に混じり合う。

俺の望みは、一度でいいからルキーノに本気で謝らせることだった。 あのまま家に帰ったところで、あの伊達男の余裕で誤魔化されるのは見え見えで、 それではいくらなんでも都合がよすぎるってもんだろう。

ほんの数分も待てずにトイレにまで押し入った時でさえ反省の色すらなかった男を、 どうやって本気で謝らせるか考えた末、この方法を思いついたってわけだ。

適当にスロットを回してじゃんじゃんコインを吐き出させている俺の後ろで、 入り口付近の客がざわめく。

役者は揃った。なら、あとは舞台に上がるだけ―――そうだろ?

俺はボーイに目くばせしてスロットのコインを処理させると、 ルキーノのいるルーレット台まで歩いて行った。



***



カジノに入ると、いつも以上に大勢の客が集まっていた。客の目当ては言わずもがなだろう。

機嫌を損ねた俺のお姫様は、ハートの女王のようにツンとした眼差しで 此方を見ていた。

「よう、ジャン。やってるな」

何でもない挨拶のようにそう言うと、ジャンもいつものように笑った。

「ああ、ルキーノ。楽しく遊ばせてもらってるぜ」

ボーイを呼びとめて、シャンパンを持って来させる。すぐに芯まで冷えた グラスとシャンパンが運ばれてきて、俺達はそれで乾杯した。

「うめぇ、いいシャンパンだな。流石ルキーノのカジノ、ってか?」

悪びれずにジャンが笑って言う。

「コイツ、その俺の店を潰しかけやがって」

俺も深刻な顔など一切見せずに、笑って言った。ジャンとこういう駆け引きをするのは初めてで、俺は妙に愉しい気分になる。

とにかく謝り倒して機嫌を取ろうと思っていたが、気が変わった。

「俺と勝負するか、ジャン。これでもカードなら少しは自信がある」

余裕の笑みで誘うと、ジャンは一瞬薄く唇を開いたが、すぐにその口で弧を描いた。

「俺とギャンブルで勝負しようなんて、本気かよ」

「冗談で俺がこんなこと言うと思うか?ディーラー任せじゃ お前が昨日うちから巻き上げた金は到底取り戻せん」

軽口のままで、暗に昨日の金を全部賭けろと挑発した。ジャンもそれを汲み取って、 チェシャ猫みたいにニヤニヤする。

「いいぜ、乗ってやる。だけどルキーノ、お前は一体何賭けんだよ?俺ってば 遠慮深いから、これ以上の金はいらないぜ」

ジャンの言葉に俺は少しだけ考えて、テーブルの上のチップを一枚手に取った。スーツの内ポケットからペンを取り出し、サラサラと慣れた文字を羅列する。

「これならどうだ?」

ピン、と弾いてチップを飛ばす。ジャンは掌で受けとめ、チップの裏を見て――― 一瞬絶句していた。

「ルキーノ、てめえ」

本気かよ、と言いたげにジャンが俺を見た。

「価値がないとは言わせないぜ、どうだ?受けるか?」

チップには俺の名前を書いてやった。ルキーノ・グレゴレッティ、と。 この俺を賭けるんだ、文句は言わせない。

「お前が勝ったら、そいつを好きにしていいぜ?言いなりにするもよし、 気が済むまで痛めつけるのもよし、好きにしろ」

ギャラリーには俺が何を掛けたのか全くわからない。遠巻きなざわめきと詮索が 周囲を取り囲む中、ジャンはチップを胸ポケットに滑り込ませた。

「・・・・・カードを配れよ」

ジャンが硬い表情でディーラーを一瞥して、そう言った。賭けは成立。コールだ。

ディーラーがカードを配る。俺が有利になるようにイカサマする可能性も なくはなかったが、それで簡単に勝てるなら昨夜支配人は土下座せずに 済んだだろう。

「後悔するなよ、ルキーノ。土下座させてやる」

そう言って、ジャンは配られたカードを手に取った。予想はしていたが、 そうきたか。マジで本気だな。

自分のカードを見ると、既にペアだけは出来ていた。キングとクイーンのツーペア。 初手としては、悪くない。

ジャンの表情をチラリと伺うと、ジャンは無表情な瞳でカードを見ていた。 ポーカーフェイス、か。

(セオリー通りなら一枚チェンジでフルハウス狙いだが・・・)

ジャンは無造作に全てのカードを裏にして場に放り投げると、積み場から 五枚カードを取った。確認してカードを伏せ、感情のない声で短く言う。

「コールだ」

ジャンはコールした。俺が降りる訳にはいかない。

オールチェンジなら普通はそれほど大きな役の可能性はないが、 ジャン相手だと言いきれない。相手はラッキードッグ。 一晩で俺のカジノを破滅寸前に追いやった男だ。

俺は半分負けた気になりながら、カードを一枚チェンジする。勝てる気はしなかったが、だからといって捨てる気にもならなかった。

めくったカードは、スペードのキング。来た。フルハウスだ。

「コール」

俺が受けた事で、場は成立した。ショーダウン。

「すげぇルキーノ。フルハウスかよ」

俺のカードを見たジャンが、ヒューと口笛を吹いてそう言った。 ジャンのカードは、役なし。つまり、ブタだった。

「あーついてねぇ。屑カードしかこねぇんだもんなぁ。ツキも落ちちまったみてぇだし、俺帰るわ」

ジャンが席を立ったことで、ギャラリーは勝負に興味を失った。店を出る客、 スロット台に向かう客などさまざまだったが、ポーカーの卓には一人も残らなかった。

(ジャンがブタだと?信じられん)

「おい、イカサマしたんじゃないだろうな」

じろりと睨んでそう言うと、ディーラーは激しく首を振った。

「し、しておりません。お恥ずかしながら昨日数回手遊びをしたのですが、 全て見破られてしまいまして・・・」

それなら、どうしてあのラッキードッグが役ナシなのか。俺はジャンの捨てた カードを裏返し、言葉を失った。

ロイヤルストレートフラッシュ。うちのカジノはワイルドカードを入れていない。

(最強の手をまるこど捨ててやがった、あの馬鹿)

俺は立ち上がってジャンの後を追いかける。今日はジャンは車で来なかったと 支配人が言っていた。まだそう遠くまで行っていないだろう。


カジノを出てタクシーのよく通るメインストリートへ向かうと、 ジャンがぶらぶら歩いている後姿を見つけられた。

「おいジャン、お前どういうつもりだ」

少し走っただけで、すぐに差は縮まった。 ジャンは俺の呼びかけには振り返らず、けれど逃げるでもなく 歩を進めている。

「なんだありゃあ、いつからお前はポーカーの役もわからん男になったんだ? 俺を土下座させるんじゃなかったのか」

ジャンはようやっと振り返ると、俺を睨みながら叫ぶ。

「うっせぇ!!俺だって――――俺だって」

それだけ言って、ジャンは口をつぐんだ。ただわかったのは、 ジャンには俺と勝負する気がなかったということだけだ。

「俺だって、ぜってぇ土下座させてやるって思ってた。だけどよ、だけど なんか・・・・・なんか、ダメなんだよ!」

「ダメって、何がだ?」

ジャンは少しだけ困った顔をして俺を見る。

「あんたが―――その、土下座してるトコ。想像したらキモチよかったけど、 なんか腹立って。そんで、思ったんだよ。あんたが土下座するとこなんか、 見たくないんだって」

「ジャン・・・」

ジャンはばつが悪そうに視線を泳がせて、言葉を続けた。

「あんたの格好悪いところなんか、見たくねえ。自分の店で恥掻かれんのもイヤだ。 そんなのは、俺の惚れてるルキーノじゃねぇから」

だからだよ!と照れ隠しのように最後に一声大きな声で吐き捨てて、 また背を向けて歩きだす。

なんだそりゃ、どういう理屈だ。俺はジャンの矛盾だらけの行動に突っ込みを入れたくなったが、それ以上に愛おしいと思った。

「家に帰ってこいよ、ジャン」

「やだね」

「惚れた男を独り寝させる気か?」

「言ってろ、バーカ」

メインストリートのど真ん中で、俺はジャンの後ろをついて歩いていた。 こっちに背中を見せたままのジャンと、不毛な言い合いをする。

時折通行人が振り返って見たが、構わない。

「飯食えなくて悪かった」

「もう作ってやんねえからいいし」

「これからは帰れない時は絶対電話する」

「寝てるから起こすな。メーワクです」

「もう頼むから機嫌直せ、ジャン。俺は三日もお前に触れなくて禁断症状が出そうになってるんだぜ」

ぴた、とジャンの足が止まった。結構歩いたせいか、町並みはもうネオンから外れ、 ぽつりぽつりと街灯が照らしているだけになっている。

「わかった、帰る」

振り向いてぽつりと答えたジャンを、俺は抱きしめる。 久しぶりのジャンの香り。華奢ですっぽり腕に収まる身体。目の前には 街灯を受けて光る金髪。

ジャンは自分からも腕を回して、俺に抱きついてきた。俺はジャンにキス―――― しようとして、思い切り拒否られる。

「帰る条件は、俺がいいって言うまでエロいことしないこと。 いいよな?ルキーノ」

にっこりとほほ笑んだジャンの顔は、本当に生き生きしていた。新しい 悪戯をみつけた子供のように。

「ま・・・まさか、ジャンお前」

「そっかー、ルキーノってば禁断症状が出るぐらい俺にエロいことしたくて たまんなかったのー。土下座は諦めたけど、そういうやり方もあったんだなあ」

ニヤリ、と笑うジャンの背中から、黒い何かが見えた気が。幻覚か。

「言っとくけど、無理矢理したら今度こそあのカジノぶっ潰してやるから。 そこんとこ宜しく」

さっ、帰ろうぜ!と手を引くジャンはいつものジャンだった。可愛い俺のジャン。 カワイイだけじゃない、俺のジャン。

(お前がラッキードッグなのがこんなに厄介だと思ったのは初めてだぜ)



ジャンカルロ。俺の恋人。ラッキードッグ。カジノの王様。

頼むからあと二日以内に機嫌を直してくれよ?

でないと俺は、あのカジノを見捨てない自信がないからな。