『お姫様とギャングスタ』(ベルナルドの場合)
コーヒーの香りに、焦げたような香りに焼けたパンの匂いが混じり始める。
聞きなれた足音がドア越しに聞こえた。瞼を開けずにじっと待っていると、
ガチャリ、とドアが開く音がする。
俺は期待に頬が緩みそうになるのを堪えて、狸寝入りを決め込んだ。
「まだ寝てるのか?ベルナルド。そろそろ時間だぜ、ダーリン」
揺さぶられて、ようやく俺は目を開ける。朝一番に見るジャンの姿に、
俺はとびきり機嫌よくほほ笑んだ。
「おはようハニー。今日も世界一の美人だ」
「・・・・バカ」
身体を起しておはようのキスをする。ジャンもそれを受けて
俺の右頬にキスを返した。
「もう朝食できてるぜ。卵はサニーサイドアップ?それともスクランブルエッグ?」
「どっちでも。でも一番食べたいのはお前かな」
ふざけて抱き寄せようとする俺の手を、ジャンはすげなくピシャリと叩く。容赦がないね。そういうところがたまらない。
「朝から興奮してんじゃねぇよ、ダメオヤジ。時間ないって言ってるだろ」
3分で顔を洗ってダイニングまで来いと俺に命じて、ジャンは寝室を後にした。
俺はお姫様の機嫌を損ねないようにご命令に従う。
顔を洗ってダイニングに行くと、テーブルにはパンとサラダ、ミルクとコーヒーに
スクランブルエッグとハムが並べられていた。
「おはよう、パパ」
「パパ、おそーい」
「ねえパパ、明日のピアノの発表会には来てくれるでしょ?」
三人の娘たちが、待っていたとばかりに口を開く。俺が返事を返す隙もないぐらいに、間髪入れない言葉の雨が降り注ぐ。
心地にいいマシンガンに打たれながらコーヒーを口に含む。娘達は
学校の話、次の日曜の行きたい所、欲しい人形の話なんかをとめどなく
浴びせ掛けていた。
三人の娘は、上から順にジュリア、ソフィア、マルティーナと言う。年が近いせいか、お互いに良い遊び相手であり、同時にケンカも絶えない。
「こらこら、そんなに一度に言われても答えられないぞ」
笑って言うと、俺の天使達はにっこりと笑った。
娘達は三人ともジャン譲りの綺麗な金髪で、天使という表現は実にしっくりくる。
「三人とも早く食べて学校の用意をしないと。ベルナルドも、仕事だろ」
キッチンから戻ってきたジャンが、子供たちを急かし立てる。三人は
聞き分けよくパンのかけらとミルクを流し込み、バタバタとテーブルを後にした。
「ベルナルド、新聞読むよりまず食べろよ。新聞なんか車の中で読めばいいだろ?」
呆れた声でジャンが俺を叱る。毎朝の恒例とも言えるその台詞に、俺は苦笑した。
「悪いね、仕事柄どうしても気になって」
言い訳をして、俺は朝食を始める。ジャンも俺の向かいでパンにバターを塗っていた。
「今日も本部で電話の王様?」
「そんなところかな。もう少ししたら一部を部下に引き継がせて分散させられるんだが」
働け働け、とジャンが笑う。
「どっちみち、一番根っこのところはあんた以外できっこないんだからさ。
頑張ってくれよ、マイダーリン」
「それはボスとしてのお言葉かな?ハニー」
ジャンは俺の妻であり、同時にCR:5のカポでもある。
ジャンと結婚するにあたり一番の弊害であったのが、先代カポでありジャンの父親でもあるドン・アレッサンドロだった。
初めの頃は、ジャンはカポになる人間だからとやんわりと反対していたが、そのうち『娘は誰にもやらん』と本音剥き出しでマジギレするようになっていた。
あの時は本気で殺されるかと思ったが、どうにか今も生きている。
決め手はジャンがドン・アレッサンドロに言ったセリフだ。あの時のドン・アレッサンドロの表情は今でも忘れられない。
『親父のバカ!これ以上我儘言うなら、俺は家を出て行く!もう二度と口もきいてやらないからな!』
とどめに、大っ嫌いと言われてドン・アレッサンドロは折れた。何と言うか、色々折れたんだろう。心中お察しする。
最初の娘が生まれ、孫の代父も務めたドン・アレッサンドロは、ジャンに似たジュリアにめろめろになった。続けてソフィア、マルティーナと孫娘が続き、
ますますその生活を孫色に染め上げている。
つまり、おれの人生はバラ色だ。唯一の気がかりと言えば、ジュリアが最近
幼稚園で好きな男の子が出来たらしいということ。バカな、どこのどいつだ。
ドン・アレッサンドロの予言が早くも的中しそうな予感に、俺は身震いする。
あれはジュリアの幼稚園入学の時だ。
『因果は巡ると言うが、本当だな。俺と同じ苦しみを三度も味わえるとはなぁ』と
嬉しそうに言っていた。
去年のクリスマスまでは、『パパと結婚する』とか言っていたのに。女というのはなんて成長が早いんだ。
落ち込み始めた俺を慰めるように、末娘のマルティーナが行ってきますのキスを
くれる。もう幼稚園へ行く支度が整ったらしい。
「いってきます、パパ」
その笑顔に、俺は気分を浮上させた。そして、浮上ついでにマルティーナにも
好きな男の子なんかが現れていないか確認する。
「マルティーナはパパが一番だよな?」
マルティーナは少しばかり首をひねって、何やら考え込んだ。まさか。まさかもうマルティーナにまで変な虫がついたというのか。
「マルティーナはお兄ちゃまが一番好き」
にっこりと無邪気に微笑んで、マルティーナが引導を渡す。そんな馬鹿な。
「お、お兄ちゃんだって!?どこのお兄ちゃんだ、近所に住んでるやつか!?
それとも幼稚園の年長か!?まさか俺の部下じゃないだろうな」
慌てふためく俺に、ジャンが呆れた声で言う。
「何言ってんだベルナルド。お兄ちゃんって言ったら、うちのお兄ちゃんに決まってるだろ」
「う、うちのお兄ちゃんだって!?うちには確かに、娘三人しか―――」
パニックになった俺をよそに、ジャンはテーブルを立ちあがり、
リビングに入ってきた少年にコートを手渡した。
「悪いな、マルティーナの支度させちまって」
「いいさ、母さんは色々忙しいだろ」
ジャンの言葉に答えたのは、中学生ぐらいのピンク色の髪の少年だ。いかにも女にもてそうな面をしている。
「ねえねえ、お兄さま。明日の発表会、お兄様も来てくれる?」
ジュリアの声がリビングに近づいてきたのに、俺はギョッとした。お兄さまだって。
まさかまだ兄とかいうやつが存在するというのか。
中学生ぐらいの少年がジュリアと並んでリビングに入って来る。
紫の髪をした少年は、妹に帽子を被せてやりながら言った。
「・・・ああ。遅れないように、行く」
少年は涼やかな目元を綻ばせて妹の襟を整えてやった。その姿は
まだ幼いながらも王子の風格を漂わせている。
王子様と約束を取り付けたジュリアは嬉しそうに飛び跳ね、花束はピンクの薔薇にしてねとリクエストを付け加えていた。
そんな馬鹿な、と俺は愕然とする。しかし不幸はまだ終わりじゃなかったようだ。
バタバタとした足取りでソフィアが誰かとリビングに入ってくる。
「あーもう、泣くな。リボン結べねえぐらいで鼻水たらしてんじゃねえよ」
小学生高学年ぐらいの少年は、少々やんちゃで柄が悪そうな見た目に反し、
ぐすぐすと泣いているソフィアの顔を、面倒見良くハンカチで拭ってやっていた。
「だ、だって。だってお兄ちゃん」
まだ納得できないという風に言い募るソフィアの頭を、少年はよしよしと
撫でて宥めてやっている。
(なんだ。なんなんだ。この光景は。こいつらはまるで――――)
ジャンと俺の息子であるらしい三人の少年達は、俺にもジャンにも全く似ていない。
というより、明らかに幹部連中三人とそっくりだった。激似だ。生き写しだ。
(ル、ルキーノ、ジュリオ・・・・イヴァン!!!!!)
「行ってきます、母さん」
「行って、きます」
「しゃあねえ、行ってくっかぁ」
三人は口々にそう言うと、ジャンに行ってきますのキスを―――――。
「う、うわぁあああああああああああああああああああああ!!!!!」
悪夢だ。これは悪い夢だ。悪―――――
大声で叫んで顔を上げると、そこはもうリビングではなかった。
目の前に並ぶ十数台の電話機と、マーカーの入りまくったマップ。乱雑な机の上には
大量の書類がぶちまけられている。
悪い汗をたっぷりとと掻いた背中が気持ち悪い。完全にシャツがぐっしょりしてしまっている。
「ようやっとお目覚め?ダーリン」
夢の中で聞いたのと同じ声。ただ夢と違うのは、ジャンが笑顔で
俺の眉間に銃口を突き付けているという事。
「おはよう、ハニー。これは何かな」
「べーつにー。人が折角オヤジから書類預かってきたのに気持ちよさそうに
居眠りこいてるからムカついただけ」
ジャンがそう言い捨てて、俺の頭上に持ってきた書類をばらまいた。
慌てて拾い上げると、ジャンが踵を返すのが見える。
「おいジャン、待てって。一体―――」
呼びとめた俺を、ジャンは振り返って一瞥した。そして、不機嫌さを隠さない声で
呟く。
「・・・・・・・ジュリア、ソフィア、マルティーナ」
「え?」
「出会ってから9年間、毎日毎日アホみたいに好きだとか愛してるとか人に喚いといて、三人も女作ってたんだ。ふーん」
死ね、クソッタレ。
瞬間、俺は全てを悟った。ジャンは誤解している。俺が違う女の夢を見て
幸せそうにしていたと――――。
「ち、違うぞジャン!誤解だ!俺は本当にお前一筋で」
「じゃあ、ジュリア、ソフィア、マルティーナって誰」
腹を括って説明しようとした矢先に、ルキーノとジュリオとイヴァンが
三人それぞれ書類を持って入ってくる。
究極の選択。この場で真実を打ち明けて誤解を解いて笑い物にされるか、それとも―――。
(言うべきか。言うべきなのか、俺は)
天国一転、地獄行き。せめて俺はあの夢が正夢であることを祈るよ。
(ただし、前半部分だけで宜しく・・・)
俺は自分勝手な祈りを神様に捧げて、大きくひとつ溜息をついた。