『夜明け前、午前三時。』





子供達のはしゃいだ笑い声、泣き声、遠くで聞こえる若い女の叱る声。

昔の孤児院の記憶だと、ぼんやりと理解できた。俺は、昔の夢を見てる。

イタズラばかりしてシスターを困らせ、生意気な口をきいて院長の鞭ばかり くらっていたあの頃。

小さな俺は懺悔室の前に立たされ、けれど懺悔する言葉も持たずに ただ立ち尽くしていた。

何も言わない俺に、院長がため息混じりにいつもの説法をする。

「ジャン・カルロ。本当に大切なものは、目には見えないのですよ」



目を覚ますと、いつもの天井が視界に入ってくる。 壁に掛けられて小さな秒針の音を立てる時計は、午前三時を指していた。

隣で眠っているルキーノを見ると、まだ寝息を立てて眠っている。

起きている時にはどんな顔をしてもセクシーに見えるルキーノが、この時だけは 小さな子供のように安らいだ表情を見せる。それを知っている事を誇らしいと思う。

「すげぇ、懐かしい夢見たな」

孤児院にいる頃の夢など、滅多に見ることはない。というより、元々俺は 眠りが深い方なのか、あまり夢自体を見たことがなかった。

(大事なものは、目に見えねぇ・・・か)

俺は上半身を起して、眠っているルキーノに手を伸ばした。頬の古傷を指で辿ると、 ルキーノが煩げに寝返りを打つ。

この傷はもう痛くないとルキーノは言う。先の抗争でついた傷も、今はすっかり 綺麗に塞がって、薄い傷跡を残すのみだ。

セックスしている間に、戯れに触ってみることがよくある。抗争の最中は、 真新しい傷に触れて、『痛てぇ』と言われたこともあった。

今現在は、ルキーノの体には触って痛む傷は別段ないといっていいのだろう。 そう、ルキーノの体には―――。

ルキーノには傷がある。体にも、顔にも、そして心にも。

心の傷はきっと一生なくなることはない。わかってはいるが、もしもそれが 今も痛みを伴っているなら、どんなことをしても痛みを和らげてやりたいと思う。 たとえそれが、気休めにしかならなかったとしても。

「こーやって、触って確かめられりゃ楽なんだけどな」

呟くと、ルキーノの目がぱちりと開く。あまりに唐突だったから、俺は驚いて 手を引っ込めた。

「何が触れりゃ楽だって?」

「なっ、ル、ルキーノ!!!起きてたのかよ!」

野郎、狸寝入りしてやがったな。

俺があわてたように言うと、ルキーノは余裕の顔で笑う。

「お前が人の顔に触ったりするからだろうが。俺は割と眠りが浅い方なんだ」

最後の方はよくも起してくれたなというニュアンスが込められている。俺は 素直に非を認めた。

「う、悪かったよ起しちまって。でもよ、寝たフリはねぇだろ寝たフリは」

「フリなんて心外だな、寝なおす努力と言え。ったく、このお姫様は」

ルキーノが体を起して俺の頭に手を伸ばす。大きな手で髪を乱暴にかき混ぜられて、 俺は首を振った。

「な、なんだよ!」

「どうせ俺が心の中じゃ今でも傷ついてんだろうとか思ってるんだろうが。 夜中に 一人でもやもやしやがって」

気になるなら、俺に直接聞きやがれ。あまりにもあっさりと言いきられて、 開いた口がふさがらなくなる。

「き、聞けるわけねーだろバカ!どんだけ無神経な人間なりゃいいんだよ! あ、あんたの・・・一番大事なことじゃねーか」

それすらも言いづらくて目を背けた俺に、ルキーノはキスをする。いつもみたいに 溺れそうになるやつじゃなくて、聞かん気の子供を宥めるようなキス。

「バカ、一番大事なのはお前に決まってるだろうが」

ルキーノの言葉に、仕方ないなと続く気がして俺は素直に聞けなかった。

「いいか、言ってもお前は信じないかもしれんが、俺は今幸せだ。 幸せすぎてシャーリーンとアリーチェに悪いぐらいだ。お前のお陰でな」

どう返していいかわからない。それって、いい意味に取っていいんだよな?

「あの一件で二人が本当に事故で死んだんだと知って、確かに複雑だった。 復讐の相手もなくなって、どうしたらいいのかわからなくなりそうになったりもしたが、それでもお前がいた」

「ルキーノ・・・」

「俺はお前が思ってるよりずっとお前が好きなんだ。浮気なんかしたら相手の男の眉間をぶち抜いて、二度とお前が余所見しないように拉致監禁してやるから覚えとけ」

ちょ、ルキーノ。目がマジなんですけど。愛を囁かれてるはずなのに、脅されてるみたいに怖い。

でもやっぱり俺はマフィアの男で。そういうルキーノを堪らなく格好良いと思ってしまう。腰が震えて、このままキスしたいぐらい。

「ハハ、チョー熱烈。イヤーン、こわーい」

「怖い男は嫌いか?」

肯定なんて絶対させない自信に溢れた口調に、思わず笑ってしまう。

「まさか。俺もコーサ・ノストラの男だぜ?」

にっこり微笑んで、圧し掛かってくる男の胸に手を当てる。心臓の上。皮膚ごしに 脈打っている。

浮気したら殺してやる、と言外に脅されたのを感じ取って、ルキーノも笑った。

コイツも俺と同類で、死と恐怖と興奮が同じカテゴリーになっているタイプの人間だ。そうでなくてはマフィアなんかやってられない。

「最高だ」

ルキーノの髪と同じ色をした目が、濡れている。完全にその気になっている証拠。 変態め。

現在時刻、午前四時。二度寝する時間はなさそうだと腹を括って、 俺はルキーノの重さを受け止めた。